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野村得庵展 没後70年 ある近代数寄者の軌跡(野村美術館)

野村得庵展 没後70年 ある近代数寄者の軌跡(野村美術館)

好みの変遷

野村得庵展 没後70年 ある近代数寄者の軌跡

野村美術館にて「野村得庵展 没後70年 ある近代数寄者の軌跡」を拝見して参りました。

この美術展は野村得庵の初期の蒐集品や茶会の取り合わせが展示されており、得庵の好みが藪内流から小堀遠州・松平不昧へと移っていくさまを知ることができました。

初期の蒐集品では御本立鶴茶碗が見事です。徳川家光が鶴の絵を描いて遠州が発注した本歌で、焼き上がりが美しいです。不昧の雲州蔵帳にも記載されており、得庵の後の遠州・不昧好みに繋がります。

藪内流の籔内竹陰作 天然曲形竹花入 銘蟠竜も展示されていました。

「数寄者たちとの交流」では、住友春翠からの沢庵宗彭筆夢語添状についての書状、高橋箒庵共筒茶杓 銘芦葉、益田鈍翁が命銘した熊川茶碗 銘霊雲とあり、数々の数寄者と親しく交流していたことが分かります。

またここには、大正8年(1919年)に数寄者同士で分け合った、佐竹本三十六歌仙 紀友則が展示されていました。およそ百年近くを経て、住友春翠(泉屋博古館)と二人だけ所有者が変わないようです。

茶会の取り合わせでは、昭和2年(1927年)11月の「佐理卿筋切通切披露茶会」と昭和4年(1929年)4月の「御大典奉祝茶会」が展示されていました。

披露茶会では藪内竹心茶杓 銘わびさするを用いていたところ、奉祝茶会では遠州茶杓 銘神風(展示は銘日吉)、書院飾りと、好みが籔内流から遠州・不昧へと移っていくことが分かります。

その他にノンコウのお茶碗と茶入に惹かれました。

樂三代道入作 赤樂茶碗 銘若草・・ノンコウ七種の一つです。和歌山の旧家に伝来されていて、表千家七代家元如心斎宗左が見いだして命銘しました。

種村肩衝・・大振りの茶入で雲州松平家に得庵が懇望して手に入れた際、畠山即翁との確執がエピソードとして伝えられています。

 

●展覧会情報

没後70年 野村得庵展 -ある近代数寄者の軌跡-
野村美術館(京都市左京区)
2015年9月5日~2015年12月6日
http://www.nomura-museum.or.jp/

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