いちわん

~ 楽在一碗中 ~
旅宿時雨(北村美術館)

旅宿時雨(北村美術館)

四君子苑の茶席披き

京都北村美術館にて、開館四十周年記念展「旅宿時雨」を拝見して参りました。

今回の展示は、四十年前に美術館が開館披露した際に創設者・北村勤次郎が行った茶事の取り合わせでした。また折りよく、四君子苑の開放日にあたり、建物の中に入って拝見しました。

北村美術館は、寄付、腰掛、本席 初座、懐石、本席 後座、続き薄と茶事の流れに合わせた展示で、展示目録は四つ折りで茶事の会記の形式となっていました。

展示は数寄者北村氏らしい名品揃いで、その中で特に心に残った道具を書きます。

寄付は酒井抱一の「遠山時雨」で迎えられました。

腰掛で縞柿行李蓋の莨盆と古染付御所車絵の火入を拝見して席入しました。

本席の初座には、藤原範宗筆の熊野類懐紙が掛けられ、「旅宿時雨」の歌「草まくらかたしく袖におとづれて 志ぐる々秋のけしきなるかな」とあり、これが開館披露茶事と今回の展示のテーマと納得しました。

釜は与次郎作の名物尻張釜、利休好の殴の炉縁、呉須松皮菱の香合とそうそうたる道具組です。

懐石は鼠志野四方の向付、宗哲作の笹露蒔絵の煮物碗、織部松皮菱手鉢の焼物鉢、絵唐津沓の強肴鉢・・とどれも料理が映えそうです。

濃茶席の床は元伯作の瓢花入 銘 達磨です。茶入は時代蔦 金輪寺 利休在判で嵯峨桐金襴・日野間道の仕覆が添っていました。金輪寺で濃茶とは数寄者ならではと関心しました。

茶碗は金海猫掻手割高台の堂々としたもの、茶杓は遠州共箱の銘 式部卿まいるの煤と白サビの掛分けのような美杓でした。

広間の薄茶席に進むと左入の赤樂茶碗、不昧箱の高台寺蒔絵の茶器、茶杓は覚々斎共筒の歌銘 初しぐれでした。歌は「初しぐれ草の庵にきく夜哉」でこれもまた今回のテーマにぴったりのものでした。

その後、四君子苑を拝見して参りました。

四君子苑は、北村美術館創設者の北村勤次郎氏の住まいだったもので、昭和19年に北村捨次郎により、さらに昭和38年に吉田五十八設計により新しい母屋が建てられました。

四君子苑の名は、菊の高貴、竹の剛直、梅の清冽、蘭の芳香を讃える言葉があり、また菊竹梅(むめ)蘭から「きたむら」と読むことから命名されました。

玄関から案内されて最初に入りましたのは居間で、ソファーや執務机のある洋間でした。床から天井まである庭側のガラス戸が全て開くことができ、庭が一望できます。

居間からはうっそうとした庭しか見えず、京都の街中ではなく山の中に来たようで、まさに市中の山居です。

その後、廊下や幾つもの部屋を通って「珍散蓮」と名のある二畳台目の茶室へ(松永耳庵の命名とのこと)。

ここであの濃茶道具でお茶を出したのか・・と想像して楽しくなりました。小間と庭の間に板の間があり、どこかで見たような障子戸が・・と思っていたところ学芸員から「遠州が設計した孤篷庵の茶室「忘筌」の写しです」と教えていただき、なるほどと納得しました。

最後に薄茶席となった広間「看大」へ行き、ここからも庭が拝見できました。 対岸のビルを隠す生け垣に遮られて以前見えていた鴨川は見えなくなりました。しかしこの正客席からは今の如意ヶ岳の大文字をまっすぐに望むことができるとのことです。

見学者の中には、建築を学ぶ学生や建築工務店の職人さんらしい方を見かけ、数寄屋建築として「四君子苑」の有名さを改めて認識しました。

今回は、あいにくの大雨でしたが、庭の緑も美しく映え、「旅宿時雨」を堪能しました。


●展覧会情報

開館四十周年記念展「旅宿時雨」
北村美術館(京都市上京区)
2017年9月9日~2017年12月3日
http://www.kitamura-museum.com/

«