お茶人のベル・エポック
茶人の江守奈比古氏(明治35(1902)~平成4(1992))と江戸料理の老舗・八百善の八代目主人、栗山善四郎氏(明治16(1883)~昭和43(1968))との懐石料理とお茶を中心とした対談で話が進みます。
栗山氏は八百善の主人であることから、お店や料理についての話題が多いかと思っていたところ、栗山氏も根っからのお茶人で、話はすぐに茶事・茶会や茶道具に移り、明治・大正・昭和の茶道界へと話題は変わります。
当時は激動の時代で、大名家や富裕家から美術品の売り立てが数多くあり、茶道具が大きく動きました。また数寄者が数多くいて、茶事・茶会で交流が深められた時代です。
そのような時代の数寄者が語るのですから、お茶好き、茶道具好きにはわくわくするようなエピソードやお茶に関する考え方が満載です。
例えば
1.大正時代に、茶道具商「近善商店」が乾山の槍梅の茶碗を競り落とした話。百円で一気に競り落として、あまりの緊張とほっとしたことで近善の主人は脳貧血になり、茶碗と箱を持ってその場にへなへなと座り込んでしまいました。後から、主人は(あの茶碗の素晴らしさに気がついたら競りは)「一万円になっただろう」と語るほどの名品だったそうです。
2.一回の茶会を催すことは、主人の美に対する態度というか、宇宙観、人生観の研究発表にも等しいもので、一度茶会に臨めば、主人の創作的力量も、人生観の深さも、美に対する執着の度合いも全部分かってしまう。
3.使っている茶道具が、昔大茶人であった千利休や小堀遠州などの愛玩の品であることがわかった時には、主人と客のほかに、利休や遠州も茶会に参加しているようで、大茶人を身近に感じることができる。
4.益田鈍翁氏の茶会で、本阿弥空中の水指の蓋を誤って連客が割ってしまい、益田紅艶氏が「空中のテッペンかけたかほととぎす」という句を即座に作り、場を和ませた。
この他にも、季節の懐石の献立、茶道具の取り合わせのポイントや例、贋作の話と興味が尽きません。
叶わぬことですが、この時代の数寄者の茶事に末席に参加し、含蓄のある会話を楽しみ、素晴らしい茶道具を手にとって拝見したかったと、心の底から思いました。
書籍情報
- タイトル
- 懐石料理とお茶の話(上)(下)
- 著者
- 江守奈比古
- 出版社
- 中央公論新社
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